千々松のいるの日記帳.

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現代とはつまり脳の社会である『唯脳論』養老孟司

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--現代とは人工の社会であり、つまりは脳の社会である。

 

本書は十分に人工化された社会を生きる人々に対して効果的な指針を与える、『バカの壁』でベストセラーを記録した著者の作品である。

 

 

1.唯脳論とは

唯脳論とは、心身二元論と対比的な意味を持ち、現代における凡ゆるものは脳の産物であるという考え方である。

唯脳論では、脳を「構造」とし心をその「機能」とすることで、心は脳の従属物であるという脳一元的な論を展開している。

本著では、「意識」「言語」「時間」を唯脳論の見地から痛快に解説している。その解説はこれまでの既存概念を大幅に変えてくれるか、或いは、抱えていた疑問を氷解させてくれるだろう。

 

 

2.構造と機能(視覚と聴覚)

人間が構造と機能をしばしば混同して考えてしまうのは、そもそも人間の脳自体が二つの立場を取っているからだ。

それが「視覚」と「聴覚」である。視覚と聴覚では現象の捉え方が根本的に異なっており、これら二つは互いに異なる性質を持つ。

脳はこの二つの性質を器用に使い分けている。その典型が言語であり、言語には視覚言語と聴覚言語が存在する。

視覚言語とは、日本語の象形文字のような視覚に依存する言語種のことであり、

対して聴覚言語とは、英語のアルファベットのような聴覚に依存する言語種のことである。

 

このような言語性質の差から、日本人は英語が苦手でまだ中国人の方が流暢なのがよく分かる。(中国語も聴覚言語であるからだ)

 

3.脳化社会とその生き方

現代人から急速に身体性が失われている。

情報化された社会では個人が身体を持つ意味が段々と薄れていく。

デジタルネイチャー真っ只中の若者は、コミュニティはネットの中で完結し、遊びだってスマホ一つで事足りる。

そんな彼等には身体が無い。

リクルートブライダル総研によれば、H26年度の調査で凡そ4割の男性は付き合ったことすらないという結果がある。

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出典:リクルートブライダル総研

http://bridal-souken.net/data/ra/renaikan2014_release.pdf

 

 

これには若者の身体性の欠如が起因していると考えられる。

身体を使う必要がなくなったから、恋人を作って身体から情報を得るということがなくなったのではなかろうか。

或いは、身体を使うことが無さすぎて、身体を介するコミュニケーション全般が苦手になったのかもしれない。

  

氏は書の中でこんなことを言っている。

 中枢は末梢の奴隷である

 これは脳は身体に依存しているということであろう。

 脳は非常に優秀な計算機であって、人間を人間たらしめるものであるが動物を動物たらしめるものではない。

脳が発達すれば、脳化社会が浸透すれば、動物としての人間は死んでしまうのではないか。

それはとても奇妙な話である。